織田信忠による天下統一(完結編)


 長々とおつき合いいただいたこのテーマ、今回で完結とさせていただこうと思います。そこで、今回は結論のでなかった、あるいは穴のある考え(笑)を書かせていただこうと思います。

 その1で、織田家が実権を失ったのは織田家内部の家督争いに端を発すると思っていますと書きましたが、家督争いそのものを激化させたのはどう考えても秀吉だと思います。しかし、秀吉がなぜそのような行動をとったかについては、秀吉の立場からすれば自衛行為だったと言えると思います。
 私は秀吉が何故結果的に織田家を乗っ取ってしまったかについては、最初は織田家家中での主導権争いだったと思っています。秀吉が信長以外の主君の元ではあれほどの勢力を持つことができなかったであろう事はほぼ異論はないと思います。では信長無き後にその勢力を維持あるいは成長できたかについてですが、信忠が本能寺で生き残った場合はかなり難しかったのではないかと思っています。
 信忠が生き残った場合、織田家に内部紛争が起こる可能性についてはほとんど無かったということについては今まで考察してきた結果、明らかだと思います。
 では、信忠を長とする織田家の体制がどのようなものになったかについてですが、私は信長は信忠に実権を渡す前に勢力が大きくなりすぎた部下の粛正を行うつもりだったと思います。佐久間親子等の追放はその手始めであったと思います。また、秀吉が宇喜多秀家の降伏を取り次いできたとき、最初許さなかったことについても、織田体制下に一族以外の大大名を残さないと言う信長の意志の表れだったと思っています。
 私は信長は秀吉が毛利家を滅ぼし九州を制圧した後、秀吉を強制的に隠居させて秀勝に羽柴家を継がせていたと思います。他の重臣たちについても、信長の方針は追放、弱体化あるいは一族化するで一致していたと思います。信長の構想は織田家を頂点とする絶対王政だったと思います。信長は絶対王政体制を作り上げるまでは信忠に実権を渡さなかったと思います。
 しかし、本能寺で信長は討たれました。あの時点で信忠が信長の描いていた構想通りに政権を作り上げることができたかについては、多分無理だったのではないかと思います。
 信忠がどのように政権を作り上げたかについては、重臣による合議体制になる可能性が最も高くなると思っています。そして、その体制では秀吉が生き残れる可能性はかなり低いと思います。
 秀吉は史実では信雄を看板にして織田家を乗っ取りましたが、信忠が生き残った場合はその看板が無いので、おそらく秀勝に羽柴家を継がせて羽柴家そのものの存続をはかるしかないでしょう。


 その2では信忠により天下を統一する事が可能だったかをどうかを考えてみました。

 その2で考えた通り、私は天下を統一するということについては信忠個人の資質、織田家のもつ総合力の両方から見て「かなりの確率で可能」と言えると思いますその政権の永続性についてですが、 「信忠が上手く政権の運営ができたかどうかは永遠の疑問となるだろうと思います。」と記述しました。
 勿論史実では信忠政権というものは存在しなかった以上、「必ず成功する」あるいは「必ず失敗する」とは結論を出すことはできません。私はさきほど書いたとおり、信長が整理する以前に信忠が政権を継いだ場合、重臣による合議体制になる可能性が最も高くなると思っています。そして、力のありすぎる重臣による合議体制と言うものは長続きしないというのが歴史の鉄則だと思います。この重臣による合議体制はいずれ瓦解するだろうと思います。いつこの体制が瓦解するかについては、個人的には信忠存命中は合議体の維持ができる可能性は高い確率であるのではないかと思いますが、信忠、あるいはその後継者であろうと思われる秀信(三法師)が重臣による合議体制下で織田家のさらなる基盤強化を図れるかどうかは、カオス要因が多すぎて予測不可だと思います。